当社は創業以来、国債市場の発展とともに歩んで参りました。黎明期から現在に至るまでの国債市場及び当社の歴史を紹介いたします。
 

流通市場の黎明期と当社の設立
(1960年代~1970年代前半)

我が国の歳出は、戦後しばらくは国債不発行の均衡財政が保たれていましたが、東京オリンピック景気の反動から1965年に戦後初の赤字国債(特例国債)が発行されると、1966年から1974年にかけては建設国債(4条国債)が毎年発行されました。発行市場では、国債募集引受団(シンジケート団)による引受が行われるなど、安定的な国債発行のための制度が整備されましたが、一方の流通市場は、国債の売却に制限が課せられていたほか、各証券会社の店頭毎の縦割り市場となっており、流動性の乏しい未発達な市場となっていました。
当社は、こうした流通市場の整備を目的に、大蔵省(当時)の諮問機関である証券取引審議会の答申に基づき、東京証券取引所の全ての正会員(当時83社)の共同出資により1973年に設立され、証券会社間の取引(業者間取引)を仲介する業務を開始しました。

 

国債の大量発行と流通市場の発展
(1970年代後半~1980年代)

第一次石油危機後の税収の落ち込みから、1975年に赤字国債の発行が再開されると、その後も大量の発行が続いたことで、国債の発行残高は増加の一途を辿りました。国債の大量発行により、金融機関保有の国債売却ニーズが高まったことで、1977年以降、徐々に国債の売却制限が緩和されたほか、1985年には銀行による国債のフルディーリング業務が開始されたことで、国債の流通市場は大幅に拡大しました。
当社は、このような変化にあわせて、ディーリング業務を営む銀行等を取引参加者に加えたほか、1986年には国債のスクリーン取引システムを稼動させました。取引参加者は当社取引システムを通じ、気配値・出来値をリアルタイムで把握できるようになり、当社は流通市場における価格形成と流動性の向上に大きく貢献することになりました。

 

金融ビックバンと私設取引システムの運営開始
(1990年代)

1990年代後半から、政府による政策として、我が国の金融市場をニューヨークやロンドン並みの国際金融市場として活性化させること目指した、いわゆる日本版金融ビックバンに向けた取組みが実施され、1998年には金融システム改革法が施行されました。一連の改革により、市場間競争を促進する観点から、取引所集中義務の撤廃とともに電子的技術を利用して同時に多数の者を相手に有価証券の売買等を行う「私設取引システム(PTS)」が導入されました。
こうした法改正を受け、当社は日本で初めて金融庁から株式PTSの運営に対する認可を取得(2000年)し、翌年には国債取引についてもPTS運営の認可を取得しました。また、市場集中義務の撤廃に伴い、東京証券取引所が1998年に上場国債全銘柄の価格公示を停止したことから、国債全銘柄の価格を「BB国債価格(引値)」として発表を開始しました。

 

国債市場のグローバル化と取引システムの高度化
(2000年代)

2000年代には、発行市場では、国債市場特別参加者制度の導入(2004年)とシンジケート団による引受けの廃止(2006年)、流通市場ではWI取引の開始(2004年)、決済制度ではRTGS化(2001年)、国債清算機関の開業(2005年)など、欧米の制度を参考にした国債市場のグローバル化が進められました。

業者間市場においては、1990年代後半から、多くの外資系・短資系の仲介業者が新規参入したことにより、同業者間での競争が激化しました。こうした状況を背景に、当社は、2001年に新トレーディングシステムである「BB Super Trade」を稼動させ、取引の利便性向上と情報サービスの拡充を図りました。

 

現在(2010年代~)

2013年以降、国債市場は、日本銀行による金融政策(いわゆる異次元緩和)の影響を大きく受け、低金利環境の長期化、市場規模の縮小等が続いています。当社は、創業以来の公平・公正・透明という経営理念のもと、利便性かつ信頼性の高い市場機能を提供することにより、市場流動性の維持・向上に貢献できるよう尽力しております。